どうも、こんにちは。
肝細胞番長です。
またしても、美容とは関連が薄そうなタイトルですが、おそらく外見に関する悩みも根っこは同じところにあると思っています。
春になり山の小鳥が「ピーピー」鳴くようになって、小学生の頃の黒い思い出がよみがえってきたので、思い出し怒りみたいな記事を書いています。
自殺した教師の話
小学生の頃、クラスメイトのほとんどから嫌われていた担任の教師がいました。
どれくらい嫌われていたのかというと、5年生から6年生への担任の持ち上がりが決まった時にガン泣きする生徒がいた程です。
例に漏れず僕も大嫌いでした。
正しさの押し売り
なぜ嫌いだったのかというと僕の場合は、自分の価値観を生徒に押し付けてくる教師だったからです。
国語の授業で詩を書くことがあったのですが、その先生は
詩の中で僕がスズメの鳴き声を「ピーピー」と表現していたのを、「スズメの鳴き声がチュンチュンじゃないのはおかしい」と勝手に直して、市のコンクールに出したのです。しかも、その詩は何かの賞を受賞してしまいました。
その時は勝手に直されたことにただただ腹を立てていましたが、今なら「詩は論文じゃないんだから、正しさは要らない」と理屈をつけて文句を言うと思います。
漢字が間違っているのを直すのなら分かりますが。
というか動物の鳴き声なんて、国によって全然表現が違うんだから、何でも良いじゃないか、と。
スズメは本当にピーピー鳴いていた?
最近になって気付いたんですが、山が近いので家の実家の周りにはスズメだけじゃなくてコガラやシジュウカラなどスズメと見分けがつかない小鳥がたくさんいます。
小学生の僕は他の鳥の鳴き声をスズメの鳴き声だと勘違いしていたのかもしれません。
芸術にも正しさは必要?
その教師の黒い思い出は他にも書き出したら止まらないくらいあるんですが、もう一つ印象に残っているのは図工で絵を書いた時にその絵の背景にする色画用紙を決めないといけないことがありました。
その時、自分では黒が良いと思って黒を選んだんですが、その先生は赤が絶対に良いと言って勝手に変えて、真っ赤な色画用紙に僕の描いた絵を貼り付けてしまいました。
自分の中の”正しさ”に殺された
小学校を卒業してから20年ほど経った頃、その先生が自殺したという話が耳に入りました。
話によると「担任していたクラスが学級崩壊状態になって、それで責任を感じて自殺したんじゃないか」ということでした。
確かに世間的には責任を感じてということになるのかもしれません。
しかし、僕がその話を聞いた時
先生は正しくなくなった自分が許せずに自らを処刑したのではないか
と思いました。
あの先生は”正しさ”の奴隷ではなかったのか、と。
今思い返すと感謝しかない
最初に書いた通り、感謝以外にもいろんな感情がありますが、いい話っぽくまとめる語呂の良い見出しを他に思いつかなかったので、そう書いています。
ただ、自分の性格が良くわかったのは、間違いなくその先生のおかげです。
彼女への反発心は
- 他人の言うことは聞かない
- 何をアドバイスされても自分のやり方でしかやらない
- ルールには従わない(すぐ抜け道を探す)
とかとか、そういった自分の性格が反映されていたんだと今は思っています。
P.S. 自分の体すら思い通りにはならないもの
もしかするとその先生は子供は支配できるもの(言うことを聞くもの)と考えていたのかもしれません。
しかし、現実にはこの世の中に自分の思い通りにできるものは何一つありません。
自分の身体でさえ思うようにはなりません。
どんなに病気になりたくないと思っていても、病気になる時はなるのが体です。
それが他人であれば、なおさら思い通りにはなりません。
まだまだ愚痴が止まりそうにないので、次回に続きます。
美容関係なくただ愚痴を書きなぐるブログになりつつありますが、今回の話はちゃんと最終的に美容の話につながる予定です。
愚痴が膨張してなかなか最終目的地にたどり着かない可能性もありますが。
追記
全3回の予定でしたが、次回が最終回になりました。