祝!生存三周年

どうも、こんにちは、幹細胞番長こと梶原です。

本日は僕の生存三周年の祝です。

最近はほとんど、ブログを更新していなかったので、死んでるじゃないかと思ってる方もいらっしゃったかもしれませんが、しぶとく生きてます。

気軽に投稿できるTwitterではほぼ毎日別段、有益ではない私事を呟いています。

余命1年!?

「紹介状書くんで、今すぐ脳外科に行ってください」

なかなか頭痛が治らないので頭痛外来を受診してMRIを撮ったら、先生にそう言われた。

「タクシー呼ぶんで、外のイスにかけて待っててください」

「えっ?タクシー?」

「はい、タクシーで。15分くらいなんで、すぐですよ」

「電車とかで移動ではなくて?」

「えー、そうですね・・・、タクシーで行くことを強くおすすめします」

普通に生活できているのが不思議

頭痛外来でCDに焼いてもらったMRIの画像を診ながら、脳外科の先生(すごく頭良さそう)が言った。

「これは頭痛がするはずですね」

画像の影を指差しながら、先生が言う。

※画像はその先生のイメージ。実際に来ていたのは特攻服ではなくて白衣。

「ここ、脳の右側に”おでき”ができていてそのせいで、内圧が上がって・・・」

「えー、つまり腫瘍ができてるってことですね?」

せっかく先生がオブラートにつつんで”おでき”と表現してくれたのに、自分で腫瘍と言い直してしまう僕(悪気はない)。

「そういうことになります」と先生。

「普通はこれだけ腫瘍が大きくなってたら、手足に痺れとか麻痺とか、他にも症状が出てもおかしくないんですが、よく頭痛だけで済んでますね」

そう言われても、頭痛以外、体調には何の問題はないので、危険な状態だと言われる方が信じられない。

「まだ詳しい検査をしてみないと断定はできないですが、99%脳腫瘍ということで間違いないでしょう」

手術前に知ってしまった余命

大学が理系だったこともあり、友人には大学に残って研究しているヤツがいるので、大学が購読してるジャーナルから脳腫瘍(グリオーマ)の治療に関する論文を横流ししてもらった(もう時効だろう)。

テモゾロミドを使った現在の標準治療(ストゥーププロトコル)の論文で、論文によると

  • 放射線治療のみだとグリオーマの手術後の存命期間の中央値は12ヶ月
  • テモゾロミドと放射線治療を併用すると手術後の存命期間の中央値は14ヶ月

アブストには劇的に予後が良くなった的なことが書いてあったので、最初は英文を読み間違えたと思ったが、何回読んでもテモゾロミドで伸びた存命期間は2ヶ月。

当時は他に有効な治療法が全くなかったので、2ヶ月伸びただけでも大変な成果だったそうな。

今はもうちょっと治療の選択肢も増えて存命期間は2年くらいになっています。

とはいえ、2年か。。。というのが、正直な感想。

ので、割とやべぇ状況だというのをなんと最初の手術日(2020年7月1日)以前に知ってしまう。

できる限り早く治療法を調べておこうと思ったために、自分の余命を手術前に知ってしまってしまうという萎えぽよなことになりました。

手術自体は無事に終わったのですが、グリオーマ(神経膠腫)は正常な脳組織に浸潤していくので、完全に取りきることができません。

そして、後遺症として左半身のマヒとてんかんが遺ったので、東京での一人暮らしはできなくなり、退院後は実家の佐賀に帰ることになりました。

で、なんだかんだでその後も3回頭を開け、合計で4回開頭手術受ける事になりました。

何で3年も生きてるんだ?

さっき、最初の手術からの存命期間は2年ほどと書きましたが、僕は今年で手術から3年目です。

その理由はラッキーが重なったからです。

  1. 幹細胞治療ができる再生医療認定医を紹介してもらった
  2. がん細胞のMGMT遺伝子のプロモーター領域がメチル化されていた

1.幹細胞投与

九州に帰ってから、知り合いに幹細胞治療ができる再生医療認定医を紹介してもらい、そこで幹細胞投与を受けました。

まず、一番最初にマヒが明らかに改善されました。

幹細胞は本来はほとんど再生しない神経細胞にもなることができるので、神経系の障害を回復させることができます。

治療してくれた先生は効果が分かるまでは2回、3回投与が必要なこともあると言ってたんですが

僕の場合、1回目の投与当日に左半身のマヒは分からないくらいまで回復していました。

幹細胞のがんへの効果

がんに対しての効果に関しては明確なエビデンスはないものの、効くらしいくらいのことは経験的に分かってて、医者は自分ががんで手の施しようがない状態になったら、幹細胞を投与してたとか。

僕の場合、マヒは明らかに改善したんですが、腫瘍(がん)に対してはどのくらい効いてたのかはよく分かりません。

もう1つの後遺症のてんかんは残念ながら、まだ治ってないです

2.MGMT遺伝子のプロモーター領域のメチル化

はい、こっちはなんのこっちゃら分かりませんね(笑)

僕も医学部学士編入の勉強をやるまで、分かってませんでした。

簡単にいうと、がん細胞の遺伝子の変異パターンが抗がん剤が効きやすい変異パターンだったということです。

転院した地元の佐賀大学病院がグリオーマを専門に研究していて、そこでこの遺伝子の変異を調べてもらえました。(ちなみに、東京の病因ではできないと言われました)

抗がん剤中止後

抗がん剤は24ヶ月続けてましたが、今年の1月で終わり、現在は飲んでません。

前回の記事にも書いたように中止後も悪化(再発)の所見はないです。

元を取るために

せっかく、4回も頭開けて痛い目にあったし、何百万もかけて幹細胞治療をしたので、なんとか元を取ってやろうと

  1. 幹細胞美容ブランド・アルベイズ
  2. 医学部受験⇒医師免許取得

の2つを現在同時進行でやってます。

もちろん、何か打ち込めるものがあった方が長生きするんじゃないかという打算もあってのことですが。

1.幹細胞美容ブランド・アルベイズ

「起業して以来の付き合いの社長と自分たちで商品作りたいね」

という話は元々していました。

そこにちょうど、僕自身が幹細胞治療を受けるというチャンスが転がり込んだので、じゃあ、幹細胞から化粧品作ろうということになって始まったのが、アルベイズです。

しかし、困ったことにその幹細胞由来成分(ヒト幹細胞培養上清液)が医師にしか扱えないものだったので、供給してくれている先生が「やーめた」となると、そもそも製造ができなくなってしまいます。

医学部受験

ということで思いついたのが、医師免許の取得です。

取締役の僕が医師免許を持ってれば、僕が死ぬか会社が潰れるまでは製造ができるので。

現在、受験の真っ最中で、九州を中心に色んな大学の学士編入試験を受けています。

ちなみに、学士編入試験は各大学が独自にやってるものなので、日程さえ被っていなければ、何校でも受験できます。

来週火曜に大学にスコアを提出しないといけないTOEFLを受験する予定なので、ブログを書いてる場合じゃないんですが、生存三周年で書かないわけにはいかんだろうと。

受験勉強に集中するため、アルベイズの仕事は他のスタッフにほとんど任せてしまっている状態なので、負担をかけているスタッフの努力に報いるためにもなんとしても合格せねばと思っています。

いつ完治するのか?

グリオーマが大変なのは、正常な脳細胞の中に紛れ込んでいるので、手術で取り切れないことと、取ったとしてもどこかに逃げ延びたヤツがいれば、再発することです。

今のところ、進行はしていないし、マヒも幹細胞で治って日常生活にはさして不便はないので、このまま、がんが大人しくしててくれればオールOKだと思ってます。

てんかんのせいで車の運転ができないのが不便ですが。

不便というか、うちくらいの田舎になると車が運転できないと、生活自体ができません。

  • 最寄り駅まで車で20分
  • 数年前までバスが1日3本来てたものの現在廃線
  • 流しのタクシーはおろか、配車も対応圏外

畑があるんで餓死することはないはずですが、およそ現代人とは思えない生活をすることになるでしょう。

今は両親が元気で運転手をやってくれるので、生活できてますが、両親が運転できなくなったら、都会に出るしかないです。

てんかんも今は手術直後に比べるとかなり落ち着いてて、3ヶ月に1回程度にはなってるんですが

 

P.S.

うちの母が願掛けだと言って、僕が病気になって以来、感知するまで断酒すると言ってたんですが、病気の性質的にハッキリ完治と結論することはできないので、最近やめさせました。

ちなみに僕はアルコール消毒で手が真っ赤になるほどアルコールに弱いので、飲めません。家族の中では、母が飲めるという程度で、母も特に強いというわけではありません。僕と父が完全に飲めない、母は弱いけど飲めるというレベルです。

P.P.S.

今朝、神棚の榊を替えようと裏山に採りに言った帰り道のコンクリの上で豪快に滑って、縁石に背中を叩きつけ、ビショビショのグシャグシャになりました。

今日、滑ったので結果待ちの大分大の二次試験(学科)はきっと滑らないはずです。

背中をぶつけたのも”縁”石だし。

生存三周年記念だし、今日は縁起の良い日だ。