どうも、こんにちは、梶原です。
前回の記事で書いたとおり、恋人に誕生日を祝ってもらった翌日、脳腫瘍が見つかって緊急入院になりそのまま手術となってしまいました。
それまでにやった手術はせいぜい刺さったガラスの捜索(実験中の事故でガラス片が手に刺さってどこにあるのか分からなかった)とかその程度だったので、体の内部を触るような大きな手術自体が人生初です。
緊急手術とはいえ入院当日に切るわけではない
緊急手術と医者が言ってたので、その日のうちに手術されるのかと思ってたんですが、
くしくもコロナ渦での入院だったため、PCRでコロナ陰性の確認をしたり
脳波測定や血管造影のCTやMRIなどあれこれ検査をされ7月1日に人生初の開頭手術になりました。
術前に分かってしまった余命
医師によると画像から見ておそらくグリオーマだろうけど実際の腫瘍組織を病理検査しないと確定はできないとのことでした。
グリオーマという病名を聞いてから、すぐに大学に残って研究してる友人にすぐにグリオーマに関する論文を送ってもらっていました。
論文に書かれていたのは標準治療を行った場合の余命の中央値は1.4ヶ月ということでした。
その情報を術前にはもう調べてしまっていました。
「グリオーマが確定したらやばいかもな」と思いながら手術を受けました。
人生初の大手術が開頭手術って「やっぱ俺持ってるな」とか思ったりしてましたが、さすがに手術前日になると不安で緊張してきました。
手術前日の夜から絶食になって、手術当日は朝8時に手術室INです。
手術時間は10時間、予定通りなら18時頃に終わり、麻酔から覚めたら夜のはずです。
手術室イン
ストレッチャーで手術室まで運ばれるのかと思ってたんですが、手術室までは普通に歩いて行きました。
医療ドラマではだいたい家族に見送られながらストレッチャーで手術室に運ばれていくじゃないですか。
現実は全然違いました(笑)
しかし手術室に入ると、
天井の大きなライトとか
心拍モニターとか
よく医療ドラマで出てくるような設備があって、なんだか現実ではないような感じがしました。
それから看護師さんに導かれて、手術台に乗りました。
手術台って実物はこんなに小さいのかと思いました(シングルベッドのさらに半分くらいの幅でした)。
麻酔科の先生が手の甲に太い麻酔針を刺して、口にマスクを当てられ、「ゆっくり息してください」という声を聞いたのが最後で、そこから一気にICUで目覚めるまで記憶が飛びました。
「手術頑張ってね」って頑張るのは医者だ
手術を受けるとなると必ず色んな人から「手術がんばってね」と言われるわけですが・・・。
脳外科の手術はデフォルトの手術時間が10時間で、長くなると12時間とかかかる大変な手術です。
後で執刀医に「手術10時間って大変じゃないですか?」と聞いたんですが「もう慣れたから、全然キツくない」とのお返事でした。
しかもその間に外来とか回診とかもやってるわけなので、超人なんじゃないかと。
患者は麻酔で寝てるだけだから楽なもんです。
手術室に入ってから患者が痛い目に遭うのは麻酔の針を刺す時くらいです。
術後は大変
手術中は麻酔で何も感じませんが、患者が大変なのは術後です。
気がついたら、
傷は痛いし、
体中に謎の管がついてるし、
口にはぶっとい管が刺さってて喋れないし、
麻酔の副作用で吐き気がすごくて、何度も胃液吐くし(手術前日の夜から何も食べてないので胃はからっぽ)
てんかんの発作は起こるし。
ICUで初めて発作が起こった時は死ぬのかと思いました。
しかも絶妙にナースコールのボタンが手の届かない位置にあって、発作が起こりそうになると叫んで知らせるという謎の状態で人税初のICU時間を過ごしました。
即再手術!?
術後の状態があまり良くなかったので、もう一度頭開けて、もうちょっと脳みそ削ろうかという話もあったみたいですが、ステロイドを大量に投与したら頭痛や吐き気などはずっかり収まってしまい、すぐ再手術にはなりませんでした。
ただステロイドの副作用で背中にびっしりニキビができたり、妙にハイテンションになったり、食欲過剰になったりしましたが
ICU出た翌日に病院のベッドの上で腹筋してたので、執刀医から「元気だね」などと苦笑いされる始末でした(笑)
当初、背中のニキビが薬疹(薬のアレルギーでできる発疹)だと疑われていて、これまで飲んでいた抗てんかん薬が変更になりました。
以後、ちょくちょく発作が起こるようになりました。
神経膠腫(グリオーマ)グレード3
手術で摘出した腫瘍の病理検査で正確な診断が出ました。
もともと、9割9分グリオーマで間違いないだろうと言われていたのですが
正確な検査の結果はグリオーマのグレード3という結果でした。
グレードというのはグリオーマの悪性度の基準で、通常のガンのステージみたいなものです。
数字が大きいほど悪性度が高いという事になります。
グレード3ということは最悪の一歩手前です。
術前にグリオーマについては調べていて、グレード4で2年以上生きていた人がいないというデータを知っていたので
4じゃなくて良かったなという感想でした。
抗がん剤と放射線治療
術後すぐに抗がん剤と放射線による治療が始まりました。
普通は手術の傷の回復をしばらくは待つらしいのですが、東京の主治医はせっかちさんのようでした。
術後3日で抗がん剤が始まりました。
放射線は頭に当てるので、顔を固定する器具を作らないといけなくて、それで術後1週間経ってからの開始でした。
こんな感じのあみあみのデスマスクみたいなのを先に作って放射線の照射中に顔が動かないように固定してから、照射します。
このマスクは個々人にピッタリはまるように全てオーダーメイドです。
放射線治療を始めてから、すごい勢いで髪が抜け始めて頭を触っただけで、手がこんな状態になるようになりました。
右脳の前頭葉に腫瘍ができたため、右前頭部に集中的に放射線を照射したので、元々、右の生え際が薄かったところに、トドメを刺したような形になりました。
薄毛で悩んで、あれこれ実験して薄毛対策を確立してきましたが、流石に放射線への対策は考えてませんでした。
インフォームドコンセントはどこ行った!?
術後3日で抗がん剤(テモダール)による薬物療法が始まったのですが、その翌日に衝撃の事実が判明しました。
飲み始めた翌日に薬剤師さんが来て、説明があったんですが
テモダールを飲んでる間は子供が作れない。子作りできるのは断薬してから5ヶ月後以降、生殖機能へのダメージもあるから、不妊のリスクは大きい
って事でした。
同意書にはサインしたけど、口頭では生殖能力に関する説明とか全く無かったので、騙し討を受けた気分。
もしかしたら、同意書よく読んだら書いてあったのかもしれないけど
早く抗がん剤飲まないとあなた死ぬわよ
と細木数子並の勢いで早く飲み始めるように勧められたので、じっくり同意書を読む暇もなく、うっかりサインしてしまいました。
病院食は絶望の味
入院中、傷よりもツラかったのが病院食が絶望的にまずかったことです。
どういう作り方をしたらこんなにまずい料理を作れるのか問い詰めたい気持ちでいっぱいになる味でした。
もはや悪意を持って作ってるんじゃないかと疑うレベル。
自分で作るから材料だけ準備しろと言いたい気持ちを抑えるのが大変でした。
この写真は比較的まともな方のメニューなんですけど、ブロッコリーはクタクタを通り越して、グチャグチャで箸でつかもうとすると崩れてつかめない。
食事をよく残しているので
食欲ないですか?
不味すぎて食えないだけです。
という会話をよくしてました。
でもステロイドの影響で食欲旺盛なので、残してると全く量が足りません。
こちらの記事に書いたように病院の一回にファミマが入ってるので、毎日ファミマで買い食いしてました。
その話を恋人にしたら、それじゃ病気になりそうだから、私が健康的で美味しいもの持っていくと言って持ってきてくれたのが玄米ご飯とレトルトのオーガニックグリーンカレーでした。
忘れられていた抗てんかん薬の調整
上に薬疹の疑いでイーケプラという抗てんかん薬がナシになっていたんですが、背中のできものが薬疹じゃなくてニキビだと分かった時に
元の処方に戻さないとね
と主治医は言ったきり「全然変更されないなと」ってたら
結局退院するまで処方はそのままで、てんかんの発作は全く治まらず、週に2,3回起こっていました。
その状態で退院だったので、24時間誰かがそばにいないといけないということになってしまいました。
そうなった時に彼女と結婚すれば、 東京にいてもそばに人がいる状態になります。
絶対に実家に帰りなさい。結婚相手なんて所詮他人なんだから、都合が悪くなったらすぐにあなたを捨てていくわよ。実家に帰って家族にそばにいてもらいなさい。
と言われ
僕はブチ切れて怒鳴りそうになったんですが、寸のところで思いとどまりました。
昔から”自分が悪く言われるのはなんともないんですが、自分の好きな人が悪く言われるの”だけはどうしても我慢できない性格でした。
もうすでに彼女に人生預けてんだから、その結果、死んだとしても文句はない
呪いと化した女医
僕の主治医は残念ながら、色んな人から呪いをかけられ過ぎて存在が呪いそのものになったような女医でした。
いつも死んだ魚のような生気のない目をしていて、会話するだけで、生命力が奪われて、ぐったりしていました。
手術後1週間経ったくらいだったと思うんですが、その主治医から
他の場所にガンが転移したらもう自分で生活はできないし、余命もすくないからホスピスに入るしか無い
患者の生きる気力を奪うことしかこの人の頭にはないのか
と思いながらその言葉を聞いて思いました。
一度、主治医のチェンジを看護師さんに申し出て、脳外科部長(僕の手術の執刀医)が来てくれたのですが
彼女も一生懸命やってるから、彼女に任せてよ
と言われてしまい、まだ当時は僕も自分の意見を強く主張する事ができなかったので、それ以上強くチェンジを訴える事ができませんでした。
死ぬよりも嫌なこと
実家は九州のど田舎なので、
- 24時間監視必須
- 車運転不可
だとほぼ自分のやりたいことはできません。
最寄りのコンビニまで車で10分、徒歩2時間
バス停まで徒歩5分。しかし、バスは朝昼夕の3本しか来ません。
最寄り駅まで車で20分、自転車2時間。
家の周りには畑と田んぼと川と山しかないので、何をするにしろ、親に頼んで連れて行ってもらわないといけなくなってしまいます。
その点、東京であれば、公共交通機関もタクシーもあるから車が運転できなくても移動できる。
から東京に住んでおきたい。
と思って、彼女と一緒に暮らしたいという話をしたら、主治医から
悪化したら介護が必要になるのよ!捨てられたらどうするのよ!?死ぬわよ!
そもそも、結婚の話をした時点で、彼女に自分の命は預けています。
結果、彼女に捨てられて死んだとしても、それが自分の選んだ選択であるなら、何の後悔もありません。
やりたいようにやらせろ!その結果死んだとしても文句はない!それより自分のやりたいようにやれない方が死ぬより嫌だ
と叫ぼうかと思いましたが、実際にはもう少し優しく伝えました。